オタク未満ブログ

陰パチェンス

3月生まれの男の言葉に洗脳される


どうもこんにちは。男に依存する女こと陰毛パーマです。タイトルにあるように3月生まれの男について書いていきたい。

まず、ここで定義しておきたい言葉がある。
"3月生まれの男"は、陰パの中での幻想の男である。現実には存在しない男の話を以後の文章で書き付けていく予定である。
つまり、"3月生まれの男"というのは、皆様の関係者ではないことを予め明記しておきたい。その為「え〜、私の知ってる3月生まれの男の人は、そんなこと思ってないょゎら」と批判を受ける気はさらさらないので悪しからず。


結論から言えば、私は3月生まれの男が好きだ。
何故なら、3月生まれの男たちは、自己反省の言葉が美しいからである。

以後、論拠となる事象について理路整然と書き連ねていきたい。
と続けたいところであるが、私は言葉が支離滅裂にバラバラバラバラ…………飛び去る傾向がある。

実のところ私は最底辺大学の大学院生である。
研究について報告をしている際、指導教授には途中で遮られ、「貴女の論の進め方は、感情が先に来て結論を後回しにするから理解しにくい。対象者を把握した上で、論理的に述べなさい。」とお言葉鋭く、より一層の人間不信の種を蒔いていただき恐悦至極でございます、と逃避する日々である。ほぼ毎日、人格否定とも取れるスレスレのラインで教育的指導のお言葉でボコボコにされている。
このままでは私は文字も言葉も持たない人間になってしまうと、センチメンタルに恐れおののきブログを始めた。

「わたしはえらいんだ!もっとよくみて!」

と陰パの中の5さいのおんなのこが、承認欲求を満たす為に始めたのである。お付き合いください。



と上記のように、思考が散らかり本題に戻って来れなくなる。何が言いたいのか、何を明らかにしたいのかを、本人である私が忘れてしまうのだ。
おそらく、いや、かなりの確率で私には精神の発達に遅れがある。これについては、整理するために、また今度文字化していきたい。


本筋に戻ると、私は、冬が終わりつつあるもまだ春になりきらない3月という生命が芽吹く前の一瞬に生まれた男が好きなのである。
私が嗜好する男は悉く3月生まれだった。
理由を推察するに、幼少期のコンプレックスがあるからではないだろうか。
日本の義務教育において3月生まれは、頭脳・体力共に4月生まれと比較し不利な点が多数存在する。そのため、同級生と自分の体力を比べて、「ああ、これは腕っ節や体力ではこいつには敵わないな。俺は言葉で戦おう。」と、方向性を変え決心したのではないのだろうか、知らんけど。

その3月の男たちとは現実の男か、と問われればどう答えれば良いのか私にもわからない。
端的に言えば、アーティストである。アーティストの定義をよく理解していないが、芸術表現者と言えば良いのだろうか。私の言葉で言えば、神に近い信仰対象である。

彼らの生み出す言葉、リズムが何より心地よい。
否定的な言葉が、雨漏りのように屋根裏から柱をつたい床を濡らしていく、そんな生活の貧しさと愚かしさと優しさがある。私は彼らの腕や言葉や優しさの中で、ただユラユラ揺らぐだけの女でありたいと願うのだ。この浅はかな願望に全てを投げ打ちたくなる。

私は音楽に疎い。ここの拍子がどのように良いのか、ラストに向けての高まりがどう良いのか、などと正確に批評することができない。
しかし、私も二十数年自己否定に明け暮れた日々を送っていたある種の専門家である。それ故に、自己反省を述べる言葉の重さやそれとは反比例する軽やかさを理解しているという自負はある。
3月に生まれてしまった彼らの中から生まれてくる言葉は、ひどく重たく心を磨耗する強さがあるが、手で払いのければ粉雪のように軽やかに消えてしまう。そんな儚さ、危うさを兼ね備えている。
その言葉に私は生かされているのだ。


具体例を挙げよう。ここで、私の好きな男を1人紹介したい。


フラジール / GUMI - ぬゆり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm29610327?cp_webto=share_iosapp


ぐみちゃんである。そして、ぬゆりさんである。はたまた、私の信仰対象である。
私は前回の記事にもあるようにニコ動に愛を見出すナヲンなので、ボカロも大好きである。
公式ツイッターの情報を鵜呑みにすると、ぬゆりさんは3月14日生まれなのである。
ほら、3月生まれの男は良いと言っただろう。
他にも私が好きな男は、1973年3月6日生まれ千葉県出身職業アーティストや、前回の記事にした男は3月15日生まれなど多数あげられる。勿論3月生まれでない私の神も存在するが、それはそれこれはこれである。他所様の話をここでするな。

ぬゆりさんが紡ぐ言葉は、冬の朝を想起させる柔らかな冷たさがある。
真綿で首を絞めるような、という表現が私の中で最も納得できるものだ。

このフラジールは2018年夏現在、ぬゆりさんの投稿動画の中で最も再生数が多い。
私がこの歌を知ったのは、私の生への執着である歌い手のY氏(前回記事を御参照ください)が歌っていたからである。
Y氏は生き辛さを煮詰めたような歌い方をする。質素なコーラスの隙間から「ああ、この人は生き辛いのだろうな。私と同じだ。」と感じさせる闇さがある。
ぬゆりさんのフラジールにも、そんな生き辛さが詰め込み圧縮されている。

聴いていただけたら分かりやすいのだが、歌詞の冒頭から私はズボボボボと胎内へ回帰したくなった。




くしゃくしゃになった診察券を持って 
簡単な想像に日々を使っている
単調な風景にふと眠くなって
回送列車に揺られ動いている



カーーーーッこれこれこれ、とオッさんが仕事帰りのビールを腹にかっ込むように、私の精神の波長とぬゆりさんの歌詞の波長がピッタリ寄り添ってしまった。
私の中にストンと神様が降りてきたのである。
こういう信仰表現をすると怖がられるのだが、私はこう表すことしか出来ない。悲しくも言葉の知識がないのだ。

まず診察券、というワードに響くのは私の嗜好の源である。精神的な辛さを感じ生きる人間の貰う診察券はどの種の病院から出されるものか、想像に易しい。
しかし、よく考えて欲しいのはこの曲のタイトルであるフラジールの薬効である。先ほど述べた病院ではフラジールを出されることは殆どない。それならば、フラジールはどこで出されるのか。
知識のない私は検索し、理解し、そしてこの曲のテーマを私なりに把握した。しかし、そんな解釈はここでだらだらと述べる気は無い。私なぞの解釈を述べたところで、原作者であるぬゆりさんが一蹴すればそれで終わりなのだ。
頭の良い人が解釈や考察をすれば良い。私はただ、ぬゆりさんの言葉と曲調に溺れていれば良い。



プロトディスコ / flower - ぬゆり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32234716?cp_webto=share_iosapp


花ちゃんである。私は花ちゃんの声が大好きだ。
この不安定に揺れる声の終わり方や、ブチッブチッと切れる言葉の継ぎ方が好きなのだ。



どうか
もっともっと祈って 這い蹲って祈って
偶像なんか追い縋っていて
失っていろ 蹴落としていろ
作り上げた虚無に胡座をかいていろ




一瞬、ぬゆりさんを偶像崇拝するこの感情がバレたのかと背筋に冷たいものが走った。
胸の真ん中にこの言葉がグサリと突き刺さる。

ここから書くことは、頭のおかしい女の言葉だとスルーして欲しい。

精緻に記せば、私はぬゆりさんを愛してはいない。
私が好きなのは私であって、男ではない。私は3月に生まれた男を愛する女である私が好きなのだ。そのため、この心の中には男なぞ入る隙間もなく私の私に対する愛で溢れかえっている。
私の男たちへの祈りはただのポーズであり、心の底からの信仰心は欠片もない。
こう書いてしまうと元も子もないなぁと反省するが、自己愛の言葉は留まることを知らず、際限なく溢れ出してくる。
そんな自己愛に溢れた私だが、真っ当に精神が成長することなく与えすぎた自己愛という肥料で歪み根腐れしてしまっている。
そして、3月の男たちに共通するのは、彼らも私と同じように自己愛に溢れている点である。それも消化しきれずに胃もたれしてしまうような自己愛の塊である。
私は、「自分を孤独に愛することで他者から自分を守り、他人との交流を避けることで傷付くことを上手く避けられている」と間違った人生の解釈で生きている男が、好きだ。
何を言っているのか分からないと思うが、私にも分からないので安心して欲しい。
私自身、この歪んだ人生観から抜け出したいと願っている。だが、男性に対する恐怖心からか心から信用することが出来ない。そのため、女性に対して不信感を抱いている男性にしか安心感を得ることができない。
そしてこのような男性の多くは、有り余るほどの自己愛に溺れている。その自己愛が社会から嫌悪されることを熟知している彼らは、巧妙にも心の奥底、無意識の思考の下に隠すのだ。私は、木々の隙間から漏れ出てくる光や雫のような、その見え隠れする自己愛に生かされている。


そんな自己愛が垣間見える、この曲をお聴きください。


フィクサー / ぬゆり
http://www.nicovideo.jp/watch/sm32898817?cp_webto=share_iosapp



もう、お終いや。制作者が歌いだしたら、もう陰パお終いや。好きになってしまうやろが。
と性癖がブチ上がり、興奮冷めやらぬ状態になってしまう。

私は声豚でもある。良い男の良い声を聞くと嬉しくてニコニコと笑いながらお金を落とすだけの女になってしまう。良い男の声は精神安定剤になるため、非常によろしい。

それ以上に、私がこの曲をこの声を聞いた時に感じたのは、「ぬゆりさんも生き辛い歌い方をする」という事だった。
Y氏と同じような生き辛さを表現した歌声に、私は興奮に震えながら頭の中に点灯した2文字は

"信仰"

である。
私は生き辛い男を信仰する女でもある。すぐ偶像崇拝をしてお布施を払い、精神の安定を図ろうとしてしまう。
一般大衆には、受けないであろうぬゆりさんの歌声も、私の脳を孤独に揺らすのである。(松井優征魔人探偵脳噛ネウロ』の犯人でありながらも、主人公桂木弥子の良い指南役でもあるアヤ・エイジアを参照されたし)

3月に生まれた彼らの自己愛の強さや、自分の精神の弱さを切り売りするその姿勢を、私は愛することを止めることができない。
それは、これからも同じなのであろう。私自身がこの歪んだ思考のループから抜け出せない限り、私は3月に生まれた男を愛し続ける。


最後に、私は自己愛に溢れた3月生まれの男が好きだ。
ぜひ、3月生まれである彼の言葉と流れる音楽を、あなたにも愛していただきたい。